いい天気 悪い天気
晴れると「いい天気」
雨が降ると「悪い天気」
晴れは外で運動するのに「いい天気」で
洗濯物を外に干すのに「いい天気」。
雨はその反対。
けど雨が降らなければ育たない作物もあるし
水不足になって断水になってしまうこともある。
適度な雨は農業をしている人には「いい天気」で
水不足の時には「とてもいい天気」。
会話やニュースでは単純に事実として
「明日は晴れです」「今日は雨です」と伝えてくれたらいいのに。
「悪い」と聞くと
思い込んでしまって気分が下がってしまう。
雨が悪者になりやすくなるんじゃないかと思う。
確かに雨が降ると通勤や通学が「不便」になるかもしれないけれど
「不便」=「悪」ではないと思う。
『明日の天気をお伝えします。
明日は、やわらかな雨が降り、草木が潤うでしょう。
素敵な傘の出番です。』
そんな天気予報ばかりならいいのに。
生き方のキャッチフレーズに焦点をあてたい
「ドリームマップ」って知っていますか?
ものすごく簡単に言うと
自分の好きなものや興味のあるものの写真を一枚の画用紙に張り付けて
その中心に自分の将来なりたいと思っている「職業」を書き記して
その内容をみんなの前で宣言するものです。
ここで大切なポイントがあります。
その「職業」の前に必ず「キャッチフレーズ」をつけることです。
例えば「『人を笑顔にする』パン屋さん」とか「『人をワクワクさせる』絵本作家」とか。
今、コロナの影響で大企業であっても新規採用の見送りを決定しているような社会です。
CAになりたいとずっと思い続けてきたのに、いざ自分が就職活動を始めようと思ったら、そのCAの採用試験自体が行われないような状況です。
挑戦するチャンスさえ奪われてしまって、途方にくれてしまう人がでてきている。
これは今回に限ったことではなくなる。
数年前からAIなどの発達によって、今ある職業の大半は近い将来には人に頼らなくなると言われています。その職業に就くことができる人がいなくなる。
自分が目指してきた「職業」が、自分が大人になった時には「人」の手を離れているかもしれない時代です。
そんな時代だから、「キャッチフレーズ」の部分が本当に大事になってくるんじゃないかと思います。
自分はどんな大人になりたいのか、どんな生き方をしていきたいのかを考えるときに
「職業」ではなくて「生きざま」に焦点をあてていくことです。
「『人を笑顔にする』パン屋さん」を目指しているのであれば、大切にするべきは
『人を笑顔にする』という部分です。
ここがあれば後半部分はなんだっていい。
「警察官」でもいいし「会社員」でもいいし「お父さん」でもいい。
職業に就くことがゴールではなくて、どんな生き方をするのかが
これまで以上に大切になってくる社会なんじゃないかと思います。
「ごめんなさい」と「すみません」
日本語に込められた意味を考えるとなるほどなぁと思うことがあります。
謝罪の時や人にお願いするときに使われる「すみません」というフレーズ。
この言葉の語源は「済みません」もしくは「澄みません」らしいと知りました。
人から何かをしてもらった時や迷惑をかけてしまった時、自分の相手に対する感謝や申し訳なさはその場で終わっていませんよと伝えている。ここで終わり(済み)ではありませんよって気持ちが含まれている。または自分の気持ちはまだすっきりしていない(澄んでいない)から、これからもお返しをしていきますよという意思を感じる言葉です。
同じように謝罪の時に使われる「ごめんなさい」というフレーズがありますが、この語源は「ご免なさい」でしょう。
「免」の字は「まぬがれる」と読み 、免許や免罪などに使われますが、物事を無かったことにする意味合いがあるように思います。
つまり「ごめんなさい」には「今この場でけりをつけて引きずらない」という思いが感じられる。
これは見方によれば、自分勝手にも感じられるのではないでしょうか。
いちいちそんなことを考えて言葉を使うのは大変ですが、すぐには返せないような大きな恩を頂いた時は、心を込めて「すみません」そして「ありがとう」と言えるようでありたいと思います。
今の時代を生きるために必要な「力」の10年後は?
学校教育の「システム」はずっと昔から変わっていない。
教育基本法は平成18年に改正されているし、学習指導要領は約10年おきに改訂されてきてはいるけど、義務教育が小学校6年中学校3年なのは戦後すぐから変わっていない。
「6・3・3・4」の基本システムは変わっていません。
学習指導要領では改訂のたびに「ゆとり教育」や「生きる力」などその時の社会を反映した内容が盛り込まれ、その時代の子どもたちが勉強しているけれど・・・。
そもそも子どもたちが社会にでて働くのはずっと先になるわけで中学生でも10年くらいかかることが多いはずです。
今の中学1年生(13歳)が学んでいる内容や学校で必要だと考えられている「力」って、10年後にそのまま社会で必要とされている力である可能性ってどれくらいあるのでしょうか。
さらに言うと、例えば今年「学習指導要領」が改訂されるとして、その内容が決定するまでに何年もかかっているはずです。下手したら10年くらい前から議論されてきたかもしれない。
そう考えると、中学生は10年前の社会の課題を解決するための力を学校で必死に勉強して、10年後に社会に出ることになる。
つまり20年前の課題を解決する力を使って、その時代を生きていかなければならないことにもなる可能性だってあるじゃないかと思うんです。
もちろん基本的な「学力」や「知識」は大切で不易な面もたくさんあります。でも、20年も前に必要とされていた「力」が、今の時代にどれだけ役に立つのでしょうか。
今の子どもたちが大人になって活躍する社会は10年後であることを忘れないでおくことが大切だと思います。
想像力とは何か
想像力とは何なのかを考えてみる。
英語でイマジネーションの方です。
あらかじめ決まっているマニュアルに従っているだけなのはあまり面白くないです。
現状を変えようとするときにはいくつも必要な力があるとは思いますが、その一つは想像する力かと思います。
今の社会は情報が溢れているし、文明ができてからだいぶ時間も経過しているので、
まったく新しいモノを作り出すことはかなり難しくなっているのではないかと思います。
まったくの「ゼロ」から「イチ」を生み出すのは本当に難しい。
それでは想像力が豊かだと言われる人はどういう人なのか。
目の前の問題を解決する素敵なアイデアを生み出す人はどういう人なのか。
想像力とは「情報」と「情報」をつなぎ合わせる力だと思います。
自分の頭の中にある「A」という情報と「B」という情報をつなぎ合わせて
新しい「C」という発想ができる人。
もっというと「A」+「B」から「α」を導き出せる人。
こういう人が「想像力が豊かな人」だと思うんです。
今までの自分の経験や知識の中から、それまで全く関連のなかった2つ以上の出来事を結び付けて、今必要とされる情報を生み出すことができる力が想像力だと思います。
じゃあ想像力を豊かにするためにまず必要なことは何か。
それは「情報を受け入れる力」だと思うんです。
自分が好きなことだけしていたり、好きな人の話しか聞かなかったりしていると頭の中の情報が偏ってしまいます。これでは、どれだけ情報同士を結び付けても大きな変化は期待できない。
好き嫌いや得意不得意に関係なく、いろいろな経験をしていくことで自分の頭の中の情報を多様化しておく必要がある。
他業種の人と話す、年齢層の違う人と話す、他人がおススメの本を読んでみるなど方法はあると思いますが、大事なのは自分で自分の範囲を限定しないことだと思うんです。
嫌いな人だから、苦手な分野だからと理由をつけていると、自分のために必要な情報が得られない。
この情報は、その時は不必要なものかもしれないけれど、いずれ他の情報と結び付いて、自分を窮地から救ってくれたり世の中を大きく変えるものに化けたりするかもしれない。
こう考えたら、将来何の役に立つのか疑問だった学校の勉強にも価値を見出せるんじゃないでしょうか。
好き嫌いに関係なくとりあえず一度頭の中にストックしておく。完璧な状態である必要はない。何かの時に「そういえば昔どこかでなんとなく・・・」程度でもいい。
そのわずかな手掛かりが、別の何かと結び付いて大きな結果を生み出すことになるかもしれない。
今、コロナの影響で「オンライン」が一気に加速しました。
今までは参加費だけではなく時間も交通費も使わないと参加できなかった講演会や研修会にも気軽に参加できるようになりました。
これはチャンス。
目標のその先を設定する
目的と目標の違いは何か。
はっきりと理解しているわけじゃないですが
目的は「最終的な在り方」で、目標は「目的を達成するために必要なある時点」ではないかと思います。
だから「目的」はじっくり考えて一度決めたらあまりコロコロ変わらないほうがいいと思いますが、「目標」は現状をしっかりと分析して必要に応じて調整したり、時には大きく軌道修正したりするものなのだと思います。
学校では「目標」をよく設定します。個人目標の場合もあるし学級や学校全体の目標の場合もあります。
この時に、本当に大切なのは「目的」が明確になっているのかということです。
「目標」を達成することが目的となっていないか。もしくは「目的」と「目標」を混同していないか。
ここが曖昧だと「目標」を達成した後にモチベーションの低下が起こりやすい。
スポーツの世界の「燃え尽き症候群(バーンアウト)」がその例です。
「優勝」という目標に向かって練習してきた選手が優勝を手にした後に何に対してもやる気が出なくなってしまい日常生活にも支障が出てしまうこともあります。
ここで「目的」と「目標」が明確に差別化できていれば、優勝という目標を達成した後に、目的を達成するための次の「目標」が出てくるはずです。
もっというと目の前の目標が達成される前に次の目標の設定ができるはず。
優勝できたら次は何を目標にするのか。仮に優勝できなかったら次の目標は何になるのか。こうやって目標を更新していくことができれば、本来の「目的」に向かって進んでいける。
逆に目標を達成することが「目的」になってしまうと、そこで詰まってしまってどっちに進んでいいかわからなくなってしまう危険がある。
これはスポーツの話だけではなくて、「目標」を立てて頑張ってその目標を達成したのに、すぐ次の問題が発生したり現状が何も変わらなかったりして絶望することもあるんじゃないでしょうか。
目標は「途中経過の時点」なので、うまくいかなかったとしても次の目標を設定すればいいんです。あくまで目指すべきは「目的」の達成なので。
じゃあ「目的」はどう設定したらいいかというと、これは抽象的でスケールの大きいものがいいんじゃないかと思います。
最終的な目的は「幸せに生きたい」とか「世界平和」とか。
あまりに大きすぎてそのための目標が想像できないのであれば、一回り小さな「目的」を設定してみればいい。
ここで設定した「目的」が最終的な目的の「目標」にもなっています。
とにかく目の前の「目標」の先を想像しておくことが大切です。
学校の教室に「一年間の目標」が貼ってあることがありますが
あまり好きではありません。
「テストで100点を取る!!」みたいなやつ。
100点が取れなかった度に自分で自分を責めるだけで終わってしまう気がするので。
「何のために100点を取りたいのか」という「目的」を大切にしたいです。
割引の影響
「Go To トラベル」キャンペーンによって宿泊予約が一気に埋まってしまったというニュースが流れています。
東京も対象になってさらに東京都だけの割引があって、高級ホテルでも半額程度で泊まれるところもあるようです。
割引があるのであれば、今までは少し敬遠していたような高級なホテルやレストランへも行ってみようと思うのはわかりますし、それによってお客が来てくれるのであれば、コロナによってほとんど開店休業状態であった店にとっては、救いの手になるのでしょう。
このことについて思ったことを書きます。
今回のキャンペーンによってある程度お客が戻ってきてくれたとして、キャンペーンが終わった後は大丈夫なのか?と思うんです。
キャンペーン中は、本来の料金より大幅に安い料金でサービスを受けることができます。
例えば通常一泊30,000円のホテルが15,000円で泊まれるとします。
お客は30,000円分のサービスを15,000円で受けることができるので当然「満足感」は非常に高いです。
この場合、もともと30,000円でも満足できるはずのサービスに「割引のお得感」がプラスされています。
じゃあキャンペーンが終了して料金がもともとの30,000円に戻った後、同じお客がもう一度利用するのでしょうか。
一度15,000円でサービスを受けてしまった人にとって、30,000円はとても高く感じてしまうのではないでしょうか。
まぁ、30,000円だったら宿泊しないと思っていた人が一回でも利用したと考えるとメリットがあると思います。
けれど、以前から30,000円の料金を払ってでも宿泊してきた人にとって、今回のキャンペーンによって「15,000円でも宿泊できるホテル」という価値が新たに生まれてしまうことも考えられないか。
以前は満足感を得られていたサービスが、一度割引されることによって物足りなく感じてしまうこともあるんじゃないかと思うんです。
一流の高級ホテルや料亭なんかであればそれほど問題ではないのかもしれませんが、
お手頃なホテルや飲食店なんかだと影響が大きいんじゃないかとも思います。
1杯1,000円のラーメンを出していたラーメン店が、半年くらい1杯500円にして(実際は500円分は国から補助金がでていたとしても)営業していたら
お客は1杯1,000円は高いと思うようになってしまう。
そのラーメンに「500円分の価値」をつけてしまうんです。
この意識をもとに戻すのは大変なんじゃないかと。
確かに「半額」のインパクトは大きくて、その影響や反響も大きいでしょう。
けどその後の展望がはっきりしている上での戦略なのかが大事だと思います。
半額にしたことによって一時的に客数は伸びたとしても、1,000円に戻した時にリピーターが増えていなかったり、以前からの常連客が逆に減ってしまったりしたら、長期戦略として失敗でしょう。
なにか一時的な「仕掛け」をするときは、その後への影響まで想像して策を立てておく必要があると思います。
これは、企業経営だけじゃなくて人間関係にもあてはまる。
恋人の誕生日に、一度サプライズでものすごく凝った演出をしてしまうと次の年が大変ですよね。自分でハードルを上げて、自分でつまずくことになります…。
「昔は優しかったのに…私のこともう好きじゃないんだね」と…。
短期的な視点と長期的な視点のバランス感覚が大切だと思います。
人から何かを頼まれたら、相手の予想以上の結果を出すことで「感動」と「信頼」が生まれる。けれど、その次はさらにハードルが上がることになる。
どうすればいいのか。
常に昔の自分を超えるパフォーマンスを出せるように、自分自身をアップデートしていくしかないですね。